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福岡地方裁判所小倉支部 昭和45年(ヨ)615号 決定

申請人

村下昭義

代理人

河野善一郎

被申請人

住友セメント株式会社

代理人

山本光顕

主文

申請人の申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

第一、当事者の求める裁判

一、申請人

(一)  申請人が被申請人に対して労働契約上の権利を有することを仮に定める。

(二)  被申請人は申請人に対し、昭和四五年一一月以降本案判決確定に至るまで、毎月二七日限り金五六、八八〇円を仮に支払え。

(三)  申請費用は被申請人の負担とする。

二、被申請人

主文同旨

第二、争いのない事実

一、申請人は、昭和三八年八月一〇日被申請会社小倉工場に雇用され、本件解雇当時同工場製造管理課試験係の業務に従事していた労働者である。

被申請人は、セメントの製造販売を業とする会社である。

二、被申請人は、昭和四五年一一月五日、申請人に対して就業規則六〇条五号により解雇する旨の意思表示をした。

就業規則六〇条五号によれば、従業員は「禁錮以上の刑に処せられたとき」は解雇されることになつている(同条は項数を表示してないが以下便宜上一項五号という)が、また同条は「執行を猶予せられたる場合に限り場所長に於いて特に情状酌量の必要ありと認めたるときは、第八十六条本文の懲戒処分に止めることがある。」(以下同様二項という)と規定している。なお被申請会社と住友セメント労働組合との間の本部運営委員会において、この第二項は、「通常、交通事故における交通三悪(無免許、酩酊、ひき逃げ)あるいは殺人傷害、強盗等の破廉恥罪およびこれらに類するものについては適用されないことは当然である。」との決議がなされており、この決議がなされる際、「交通三悪、破廉恥罪の取扱いについては事件の実情に従い常識的に処理されたい旨組合より申し入れがあり、会社はこれを了承して右決議に至つた。」という経過があつた。しかして、会社と前記組合との労働協約によれば、運営委員会で決定された事項は、労働協約と同一の効力を有することになつている。

三、申請人は、昭和四五年九月一八日福岡地方裁判所小倉支部において、業務上過失致死罪により、禁錮一〇月、執行猶予三年の判決を言渡され、これが確定した。罪となるべき事実は、「申請人は、自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和四四年七月八日午後二時三〇分頃、普通貨物自動車を運転し、北九州市小倉区大字新道寺一二五番地の一先道路(幅員約6.4メートル)上を小倉区方面から田川市方面に向け時速約五〇キロメートルで進行中、対向してきた大型貨物自動車と離合の際、ハンドルを左右に操作したところ、それぞれこれを切り過ぎて自車を道路上にジグザグに進行し、その走行の円滑を欠くに至つたが、このような場合、自動車運転者としては、直ちに減速徐行し、場合によつては一時停車しその走行を正常に戻し、ハンドルを確実に操作できるようにして進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、周章の余り前記同一速度のままハンドル操作のみで自車の走行を正常に戻そうとして引き続き左及び右に転把したため、自車の安定を失い、蛇行させた過失により、折柄道路右端を同一方向に歩行していた熊田キヌエ(大正六年一月一八日生)の背後に自車右前部を衝突転倒させて同人に頭蓋骨骨折、右頭部挫創等の傷害を負わせ、よつて同日午後六時頃同区春ケ丘一〇番一号国立小倉病院において、右傷害に基づく頭蓋内出血により同人を死亡するに至らせたものである」というにある。

第三、争点〈省略〉

第四、当裁判所の判断

一、申請人が昭和四五年九月一八日当庁において業務上過失致死罪により、禁錮一〇月執行猶予三年の判決を言渡されこれが確定したこと、このことを理由として被申請人が同年一一月五日申請人に対して就業規則六〇条一項五号(禁錮以上の刑に処せられたとき)により解雇する旨の意思表示をしたこと、同条二項によれば、執行猶予の場合に限り場所長において特に情状酌量の必要ありと認めたときは、八六条本文の懲戒処分(設責、減給、出勤停止、降格)に止めることがあることは、いずれも前記第二のとおり当事者間に争いがない。

二、そこで申請人に対する解雇の効力を検討するに、申請人は就業規則六〇条一項五号の事由に一応該当することは明らかであるが、執行猶予に付されたのであるから、同条二項の適用も当然問題になる。同条二項は、その文言のとおり、解雇しないで出勤停止等の懲戒処分をするにつき、場所長にある程度の裁量を与えた趣旨であることは否定しえないが、この裁量の限界を著しく逸脱し、軽微な事由に対し従業員を企業から放逐する解雇処分をなしたときは、就業規則の適用を誤つたものとして、その解雇は効力ないものと解すべきである。特に執行猶予付禁錮刑に処せられた行為が企業外のものであるときは、従業員の企業外の行動に本来企業は容喙しえないものであるだけに、場所長は事案の内容、企業の社会的信用に対する影響、職場秩序の維持等諸般の事情を考慮して慎重に判断しなければならない。この点につき、前記第二に掲げた本部運営委員会の決議は、それが労働協約と同一の効力を有するだけに(審尋の結果によれば、申請人は住友セメント労働組合の組合員であつたことが認められる)、右六〇条二項の適用を考える場合有力な資料となるものといわなければならない。即ち、執行猶予を受けた事件が、交通三悪あるいは殺人傷害、強盗等の破廉恥罪およびこれらに類するものに該当する場合は、それでもその従業員を解雇することが著しく苛酷と考えられる特段の事情がある場合を除いて、原則としてその者に対する解雇は有効とすべきであるが、右に該当しない場合は、企業の信用や職場秩序に対する影響が具体的に認められない限り、解雇を無効とすべき場合が多くなるものと考えられる。

三、右に述べたことを前提として本件をみるに、各疎明資料及び審尋の結果によれば、次の事実が疎明される。

(一)  申請人が起した交通事故の内容はおよそ前記第二、三の罪となるべき事実のとおりであるが、(当時勤務外であつた)雨天の上制限速度時速四〇キロメートルのカーブを五〇キロメートル位で進行したことも事故の遠因となつたものと推認される。したがつて申請人の過失は小さいものではなく、これに反し被害者の過失は全くない。

(二)  申請人は事故より三時間位前にビール一本と日本酒コップ半杯を飲み、事故直後の飲酒検知では呼気一リットルにつき0.25ミリグラム以上のアルコールが検出され、酒気帯びと判定された。ただ飲酒が本件事故の原因をなしているか否かは明らかでない。

(三)  本件事故は翌日の新聞で報道された。それによると社名はあげられていないが、会社員村下昭義が飲酒運転で事故を起したとなつていた。

(四)  被申請会社では免許証所持従業員に対する交通安金教育として、時々交通法令講習会を実施したり安全衛生ニュースや安全衛生パンフレットを配布したりして交通安全知識の普及を図つている。

(五)  今まで被申請会社では、交通事故を起し執行猶予付禁錮刑の言渡を受けた従業員二名及び懲戒刑の言渡を受けた従業員一名が依願退職となつた例がある。本件でも被申請会社では申請人に直接及び所属労働組合を通じて依願退職を勧め、そうすれば他の就職先を斡旋する旨言明したが、申請人はこれを拒否した。

(六)  申請人所属の労働組合は、会社から本件解雇の内示を受け検討を加えた結果、解雇もやむなしという結論に達した。

(七)  事故による損害賠償は、申請人が被害者の遺族に総額五〇五万円(うち三〇〇万円は自賠責強制保険、一〇〇万円は任意保険)を支払い、示談が成立した。

(八)  申請人の会社における勤務ぶりは普通で、処分を受けたことは一度もない。

四、近時飲酒運転してはならないという慣習が確立されつつあることは公知の事実であり、道路交通法の上でも、昭和四五年法律第八六号の改正(同年八月二〇日施行)によつて、酒気帯び運転は全面的に禁止され(六五条一項)、酒酔いの程度に至らなくとも一定限度(呼気一リットルにつき0.25ミリグラム)以上のアルコールを保有する状態で自動車を運転した場合は処罰の対象になることとなつた。(同法一一九条一項七号の二)そうすると、申請人の飲酒運転は、改正法が施行されていれば処罰される態様の行為であり、このことと、前項(一)に述べた本件事故の態様、申請人の過失、その結果の重大性を考慮すると、本件は前記本部運営委員会の決議にいう酩酊等交通三悪には該当しないまでも、少くとも「これらに類するもの」には該当するというべきである。そして前項において認定したことからすると、申請人の事故はその属する工場の同僚には相当知れ渡つているものと推察され、労働組合も解雇やむなしとしている現在、申請人をこのまゝ企業に止めることは、被申請会社の交通安全教育にも支障を生じさせ、他の従業員に対する悪影響ひいては職場規律維持にも支障を生じさせることも充分考えられ、その他前項認定の各事情、特に(七)(八)認定の申請人に有利な情状を考慮しても、申請人を解雇(懲戒解雇ではない)することが著しく苛酷であるとは到底認めることはできない。したがつて申請人に対する本件解雇は、裁量の範囲を逸脱し就業規則の適用を誤つたものと認定することはできず、解雇は有効である。

五、よつて解雇が無効であることを前提とする本件仮処分申請は被保全権利につき疎明がないことになり、また保証をもつてこれに代えることも相当でないから、却下を免れず、申請費用につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(森永龍彦 寒竹剛 清田賢)

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